3.72012
悲しい事。
街路樹の効用。
街路樹は街の景観を整えるだけでなく、夏場歩道に木陰を作り歩行者に日陰を提供します。
また、車道を走る車が事故をして(単独を含む)歩道に乗り上げる際街路樹がクッションとなり、歩行者や、隣地の塀を事故から守ることもあります。
街路樹の仕事をしていると、秋に落葉が落ちて困る等の苦情を数多く耳にします。そして、今日は悲しいことに街路樹が誰かの手で根元から切られてしまいました。
以前から個人的に考えていること、樹木は自生する山の中で自然に身を任せ伸び伸びと生育させてあげてほしい。
人が植木を植えるのは人間のエゴの塊である。人の都合で人里に持ち込まれた植木。本来自生する環境ではない環境に植えられた植木。モノ言わない植木はかわいそうである。
人は自分の都合で、花がきれい、香りがいいと目に届くところに植えようとする。
その考えは、否定しません。人間はある意味エゴの塊であるのでしょうから。
動物園の檻に動物を閉じ込めるように庭に木を植える。ならばせめて、動物園の動物たちが飼育員にかわいがられるのと同等以上に樹木もかわいがってあげたい。動物園の檻の中にその動物の生育環境にあった環境を作るのと同じように、樹木が自然界で育つのに近い生育環境を作りたい。剪定もその樹種特有の姿形を大切に「その木らしさ」が出るような姿にしてあげたい。と思うのです。
私は顧客と打合せをしている時に、「この木をここに植えたい」という希望にたいし、その木の生育環境、将来樹形(樹高)を考え、「その木はやめましょう」というお答えをすることが多々あります。植木は生きて成長し続けています。人間よりももっと長いサイクルで生き続けます。現在の住宅事情で、まことに狭い植枡に植えられた植木。狭い牢屋に閉じ込められてしまっているようです。
「大きくなりますよ」というと「切ってしまえばいいじゃないか」と、、、
自分の手の届く高さで無残な姿に切られてしまった植木の姿。
そして冒頭の根元から切られてしまった街路樹。
私は植木屋ですが、植木を売ったり、植木を植えたり、植木を剪定するのが仕事ではありません。植木を植えたことにより豊かな生活空間を提供するのが仕事であると思っています。
無責任にペットを飼って、捨ててしまうような感覚で、植木を植えないでほしいです。
そして、植物に囲まれて心豊かになる生活も味わってほしいと思います。
株式会社髙樹園
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